利川市からソウル市内へ戻ってきました。
4月の旅、宿泊したラマダホテル&スイーツ南大門から、
ソウル広場までは目と鼻の先。田舎から都会へ戻ってきました。
韓国の首都であるソウル中心部の中区にある、ソウル広場に立つと見えるのが、
現在、図書館として使われている旧市庁舎。そしてその奥に建つのが新市庁舎。
旧市庁舎は、日本統治下の1926年、京城府庁舎っとして建てられたもの。
新市庁舎は、ユ・ゴル氏の設計により、2012年に建築費は3000億ウォンで完成。
最近、ソウルに来ても、観光らしい~観光はしていません。食べて飲んでばかりです。
もはや観るべきものは、観尽くしたかと思いましたが、ソウル広場から見える、
徳寿宮(トクスグン)。そうだ~!ここは、中に入ったことありません。
夕方から人に会う約束で、少し時間があるのでホテルで休む予定でしたが、
久しぶりに観光をしてみようかと思いました。冬場には、そんな気持ちにはなりませんが。
ソウルにある5つの古宮。
古宮とは、朝鮮王朝の時代、王様の生活の場であり政治の舞台になった場所。
5つの古宮は、ソウル観光の定番ですが、景福宮(キョンボックン)を見学したのは、
おそらく10年以上昔、昌徳宮(チャンドックン)も、いつだったか覚えていません。
残りの3つの古宮は、見学したかどうかも覚えていませんが、
たしか徳寿宮(トクスグン)には、入ったことがなかった記憶です。
ソウル観光の基本のキとも言える、歴史的な場所ですが、
私は興味があっても、旅友は、これまたまったく興味も関心もありません。
過去、景福宮も昌徳宮も、なだめすかし、機嫌を伺いながら歩いたこと覚えています。
今年訪ねた4月、ソウルは桜が満開でした。この時期になると、でたでた桜の起源説。
桜は桜であって桜の花は桜の木のもの。と、私は思うのですが・・・
徳寿宮とは、もともと王の家族の邸宅でしたが、豊臣秀吉による文禄の役で、
当時の王宮「景福宮」が消失したため、一時的な王宮として使われ始めました。
19世紀後半になると邸宅だった建物は、王宮として整備され「慶運宮」となり、
高宗が「慶運宮」に入り「大韓帝国」を建国。
そして高宗が退位する1907年まで、日韓保護条約の締結など、
ここは大韓帝国の歴史の舞台の場所になりました。
その後、高宗が退位したのち、王の長寿を祈る意味から「徳寿宮」へ改称に。
中和殿とは、徳寿宮の正殿。今も昔も、この周辺は、政治の舞台の中心地。
中に入ってみましょう~。
徳寿宮の正門である大漢門と中和門は、本来、南向きに一直線に並ぶそうですが、
市庁周辺の道路整備のため、大漢門は東向きになっています。
そんな些細な話が、興味深かったりしますが・・・旅友には退屈な話です。
梵鐘は、韓国伝統の鐘の形をしており、時間を知らせる役割を果たしてました。
そして韓国最初の本格的な西洋建築。イオニア式の柱が特徴です。
イギリス人ブラウンの発案で1900~1909年にかけて建築。
しかし建築半ば、日本人の目賀田種一郎が大韓帝国の財政顧問となり、
この建築の施工には、日本の建築会社が関わることに。
大韓帝国の近代化のために政策の一環として、イギリス人が考案し、
日本人によって建てられた、韓国初の西洋式の建物、石造殿です。
ソウルで、しだれ桜とは珍しくないでしょうか~。
たまには、真面目に古宮見学も悪くはありません。
良くも悪くも、日本との関わりが見えてきます。
のんびりと見学をしていたら、ホテルで休む時間はなくなりました。
これからカロスキルへ向かいます。旅友を騙し騙しカロスキルまで連行します。
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Comment
行きましたか!
チキンは、残念でしたが、これでまた
韓国に行きたくなりますね^ ^え
私たちも、食べ損ねると、
またまた韓国行きの、
安チケットを探し始めるような日々を
もう何年も過ごしています(≧∇≦)
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