TEXT BY オルラッタネリョッタ!今回のネタは韓国一流芸能誌「ディスパッチ」が崔一族の人物象に迫った渾身の記事。
僕的な感心事項であるチャン・シホのおバカぶりがよく分かる記事だったので、
取り敢えず、日本語に全訳してみました~
http://www.dispatch.co.kr/609680[Dispatch=ソ・ジョンニョル記者] 2016-11-19 04:22午後
[単独入手]
“奴らはほとんど無職”・・・
「チャン・シホ&いとこたち」の華麗な過去崔太敏[チェ・テミン]の2世、そして3世たちを知る人々はこのように表現します。
“奴らはほとんど無職同然でした”つまり、特定な職業についていなかったということ。
何かを創造したり融合したりする人ではないという話。
勿論、崔一族全員が無職ということではない。
최순천(チェ・スンチョン[崔順實の妹])の家族は企業(家具&外食系)を運営している。
“よく遊び、よく(カネを)使い、よく争い・・・怖いものがないように見えました”ディスパッチは최태민(崔太敏[チェ・テミン])2世と3世の実態を取材。
崔順實タウン近所の人々に何度か会ってみました。
もちろん彼らの証言が「国政介入」の本質ではない。
一言で言っちゃえば、ゴシップみたいなもの。
だからこそ、やるせない気持ちにさせられるのもまた事実。
韓国を弄んだ人々の水準がこんなものだったなんて・・・
<ここでチョット予備知識>
故・崔太敏[チェ・テミン]は5番目の妻として임선이(イム・ソニ)を迎えた。
イムが前の旦那の連れ子(ムスメ)である長女최순영(チェ・スニョン)、
崔太敏との再婚後、次女・순득(順得[スンドゥク])、3女・순실(順實[スンシル])、
4女・순천(スンチョン)が誕生した。
続いて3世。
최순영(チェ・スニョン)の息子はイ・ビョンA(39)とイ・ビョンB(36)兄弟。
崔順得[チェ・スンドゥク])はチャン・スンホ(38)とチャン・シホ(37)兄妹。
崔順實[チェ・スンシル])のムスメはチョン・ユラ(20)。
チェ・スンチョンの子供はソ・エドク(33)とソ・ヒョンドク(29)の姉弟。
※写りのいい角度から撮影、ウヒヒ
☆チャン・シホ、江南・狎鷗亭のゴシップガール新沙[シンサ]中學校出身のA氏に会った。チャン・シホに関する記憶を聞いてみた。
“チャン・シホは同じクラスの同級生をよくいじめてました。髪の毛にガムをつけたりして。
その被害生徒の親が抗議していました。シホのおかげで娘が学校に行けないと”しかし、学校を辞めるのはいつも被害者だった。どんな抗議も受け入れなかった。
証言したAさんも結局留学を選択した。
“チャン・シホは中学時代から怖いもの知らずだった”と語った。
最近の言葉で言えば、チャン・シホは‘イルジン(日本語では「ズベ公」?)’だったというワケ。
“チャン・シホの周辺には常に遊び人風のお兄さんがいっぱいいました。
お兄さんたちがチャン・シホ以外の女の子に‘可愛いね、あの子’なんて囁けば、
確実にチャン・シホのいじめがスタートです。当時、朴槿恵の話は出ませんでした。
ただのビル所有者のムスメって感じでした”(Aさん)チャン・シホは江南の私立・現代高校に進学。成績は常にビリ。
中学時代や高校時代のエピソードを聞けば、典型的な‘問題児’と言える。
しかし、彼女は馬に乗って、延世大に進学、
今になってようやく、裏口入学疑惑が巻き起こっている。

(上)チャン・シホ、最初の結婚@新羅ホテル (下)チャン・シホと息子の夏休み
☆チャン・シホ、周囲のオトコたちチャン・シホと親しかったBは彼女のオトコらについて語った。
彼女が付き合ったオトコ、親しかったオトコなどについての話を聞かせてくれた。
その中にはスポーツ選手もいたし、財閥2世もしたし、芸能人のマブダチも存在した。
中でも目を引いたのは組織暴力団員だった。
光州D町出身のチンピラたちとはかなり親しかったとのこと。
チャン・シホの2番目のエピソードはまさにこのチンピラ連中に関するものだ。
“別のニュースで見た事があります。ヤクザを動員して、
チョン・ユラの新林洞に住む彼氏を脅迫したという記事。多分その記事、合ってます。
チャン・シホは光州のチンピラたちととても仲が良かったから”Bはチャン・シホの過去の恋人についても語ってくれた。
彼女は事業家Xと付き合ったことがあるけど、
Xの家柄が気に入らない家族の反対は強烈だった。
崔順得[チェ・スンドゥク])&崔順實[チェ・スンシル])姉妹はヤクザを動員してXを脅迫。
黙ってられないチャン・シホも同様にヤクザを動員して、争いは拡大化。
勿論この状況に嫌気がさしたXはチャン・シホに別れ話を切り出したらしい。
“本当に面白いでしょ?ヤクザを使ってチョン・ユラの彼氏を脅迫したというニュース。
自分(チャン・シホ)もそうやってオトコと別れさせられたのに・・・”もっとアイロニーな話と言えば、チャン・シホの結婚。
家の反対でXと別れた後、Kというオトコと結婚したのだが、
結婚式の日から夫婦関係はうまくいかなかったらしい。
2006年、結婚式に出席した知人の話。
“式の会場は新羅ホテルの野外でした。とても豪華な結婚式でしたが、
子供の100日祝いは地味~に瑞草洞の某カフェで。しかも旦那は来ませんでした”
☆チャン・シホ、カラオケクィーンチャン・シホの印象を彼女の知り合いに聞いてみると異口同音にカラオケのエピソードが聞かれた。
“常にイケイケドンドンでした”
問題は遊びが徹底的だったこと。
昼夜を問わず、カラオケに入り浸り、当時彼女は狎鷗亭のTカラオケを頻繁に利用した。
“昼飲みがとても好きで、時間に全く関係なし。
真昼にもカラオケ屋の社長に電話して、店を開けてもらってました。
彼女は上客だったから、社長も文句が言えなかったと思います”チャン・シホと母親の崔順得[チェ・スンドゥク]が集まれば、パワーは2倍に。
この点は現代アパートと近所の商店街関係者を通じて確認が可能だ。
ある住民は“崔順得[チェ・スンドゥク]と崔順實[チェ・スンシル]家族の傲慢&横柄な態度は
たくさん記事化されてるけど、大したこともないのに、常に大声を上げていたと証言。
一言で言えば、傍若無人だったということ”
崔順得とチャン・シホはY医院でビタミン注射を頻繁に打っていたけど、
予約もしないで訪ねてきて、順番の割り込みは毎度の事でした。
そうこうしてると、予約患者とはよく揉めて、決まり文句でこんな感じで怒鳴っていました。
“法に従えだと?よ~し、警察呼べ!そのほうがかえってこっちに都合がいい”彼女たちには町内の商店街で行きつけのアパレルショップがいくつかあって、
驚くことに彼女たちが商店街で購入した服や靴を
大統領が身につけていたのを見たという証言が・・・
ところが、証言した店の社長は急に「後が面倒だから今の話は内緒にして」と口を濁す始末。
しかし、別の住民から似たような話を聞くことができた。
“アパレルショップの店員がこんな話をしてました。
崔順得がいくつか店の商品を買っていったんだけど、
後日になって、大統領とお店にこっそりやって来た。
その時、崔順得はブランド品で着飾って、大統領はその店の服と靴を身につけていた”
(上)チャン・スンホと妻 (下)チャン・スンホの経営する幼稚園
☆チャン・スンホ、正反対の兄妹崔太敏[チェ・テミン]の3世らと密接に過ごしてきたCさん。
彼は兄チャン・スンホと妹チャン・シホを兄妹にはとても見えないと表現した。
お互いがとてもよそよそしかったとのこと。
“2人は全くスタイルが別です。チャン・シホが華麗なら、チャン・スンホは素朴。
例えば、チャン・シホがブランドで着飾れば、チャン・スンホはジーパンの格好って感じ”チャン・シホはアニキよりもむしろチェ・スニョンの息子イ・ビョンA&イ・ビョンB兄弟、
そして、チェ・スンチョンの末っ子ソ・ヒョンドクと親しかった。
彼女はアニキの平凡さがとても理解できず、アニキは妹の軽薄さが我慢できなかった。
チャン・スンホが韓国に戻ってこない理由のひとつは「自分の家族」にあった。
“(結婚の際)家の反対がひどかったんです。だから、妻と一緒に韓国に帰らないんです。
勿論、他にも理由はありますが・・・”チャン・スンホは2007年に結婚。夫人は航空会社の地上職出身で、結婚後ベトナムに渡った。
崔順實の影響で幼稚園事業を始めたとされる情報はデマだ。
チャン・スンホの側近によれば、彼は2008年、ベトナムで建設業に乗り出すも、
同胞韓国人による投資詐欺にあってしまい、ベトナムに持っていったカネは全部スッカラカンに・・・
この時、崔順得[チェ・スンドゥク]と崔順實[チェ・スンシル]が詐欺事件を収拾すべく東奔西走。
チャン・スンホは翌年、ホーチミンのフーミーフン地区(※日本人も多く住む高級住宅街)で
国際幼稚園を開園させることができた。
“表向きには絶対認めないでしょうけど、彼は自分の母親とその妹が嫌いなんです。
奥さんも大キライって言ってました。だから韓国に戻らないんです”
☆チャン・スンホ、時計と幼稚園2013年9月13日、チャン・スンホが自身の秘密SNSに一枚の写真をUPした。
“朴槿恵大統領のベトナム訪問。7泊8日、お疲れ様でした”(チャン・スンホ)朴槿恵の名前が刻まれた「青瓦台時計」の写真が添付されていた。
チャン・スンホと朴槿恵、単純な韓国人事業家と母国大統領の形式的な出会いだったのか?
2013年6月、전대주(全大柱[チョン・デジュ])が第10代駐ベトナム大使に任命された。
彼は当時、ベトナムで韓国人の法人設立を支援するコンサルティング業を運営していた。
と同時に全大柱[チョン・デジュ]はチャン・スンホの後見人の役割を果たし、
彼の幼稚園設立について、助言を惜しまなかった。
そして、ついに大使の座に収まることになるのだ。
チャン・スンホのある側近はまた別の話を始めた。
この件も世間に知られていない疑惑だ。
“事実、チャン・スンホは幼稚園事業よりも不動産事業に関心があります。
ちょうどいい具合に、チャン・スンホが投資したエリア「フーミーフン地区」に
ポスコがマンションを建設することになったんです。おかげで地値は10倍に跳ね上がりました”彼は‘ちょうどいい具合に’と表現したが、実際にポスコは彼の幼稚園(リトル・ジーニアス)の近所に
超高級マンションを建設中だ。幼稚園の資産価値も同時に急上昇。
チャン・スンホの学生時代の知人は彼を‘温和だけど、勉強はまるでダメな学生’だったと記憶。
“中学校を卒業後、彼はアメリカに行っちゃいました。勉強が全くできなかったので、
いわゆる‘逃避性留学’とでも言えばいいのかな?そんな彼がベトナムで事業ですか~”
(上)イ・ビョンA(39)と妻 (下)イ・ビョンB(36)と妻
☆チェ・スニョンの子、イ・ビョンA(39)とイ・ビョンB(36)兄弟今からの内容は世間で知られていない2人の話。
崔姉妹の長女チェ・スニョンの2人の息子が主人公だ。
イ・ビョンAとイ・ビョンB。この兄弟はチャン・シホとはとても近い関係だ。
なぜなら、彼らは似た者同士。勉強が嫌いで、遊びが何よりの大好物だということ。
“実を言うと、イ・ビョンAとイ・ビョンBそしてチャン・シホは特定の職業についたことがないんです。
特技が親のカネを使うことくらいだから・・・仕事したことないくせに、支払いは現金でバンバン使うし”当時、よく聞かれたウワサが‘朴槿恵ライン’という言葉でした。
“だって誰もがオカシイと思うでしょ。
仕事もしてないのに、外車に乗って、いい服着て、カネも惜しみなく使うし。
そんな時、周囲から‘だって崔太敏ラインだから’とか‘朴槿恵ラインだから’
という話が当時から出ていました”兄弟の浪費ぶりが分かる端的な例がまさに誕生パーティー。
ある知人は“イ・ビョンBは1部と2部に分けてパーティーをしていて、
淸潭洞のラウンジバーで酒代だけでも1,000万ウォン以上を使っていた”と証言。
彼らは最高級の車に乗って、淸潭洞を自分の庭のように遊びまわり、
イ・ビョンBは国内未発売の外車を個人輸入したり、アメリカのナンバーをつけたまま、
高速の速度取締りカメラを不法に避けていたとの話も。
イ・ビョンAは美人大会出身のモデルと結婚、
イ・ビョンBは紆余曲折の果てに今年6月に結婚した。
☆イ・ビョンA・Bの役割とは?事実、イ・ビョンAとイ・ビョンBは崔一族の中では今だに犯罪容疑が特定されていない。
どのように「国政介入」事件に関わったのか、尻尾が掴まれていない状態だ。
それにも関わらず、2人を注目する価値は明白だ。まず長男イ・ビョンAは崔順實[チェ・スンシル]の韓国入国当時、
密かに行動を共にしていたことが明らかになっている。
彼は崔順實を車に乗せ、淸潭洞のEllui Hotelを予約している。
イ・ビョンAの友人(キム・ハンス)は朴槿恵大統領の選挙事務所でSNS対策を担当していた。
その後、青瓦台の広報専門行政官に抜擢された。
崔順實にタブレットPCを渡したのもこの男だ。
弟のイ・ビョンBはチャン・シホの右腕だ。彼は幽霊会社「Kアートセンター」を設立。
この会社はミル財団の秘密資金の窓口と疑われていたが、
ただ、実行に移す前に事件が明るみになってしまった。
イ・ビョンAとイ・ビョンBは仕事をしていない。
身分、特に顔がほとんど世間に露出していないので、
事件との関わりを世間に知られない為には最適な環境だ。
一説には、この2人が証拠隠滅のキーマンという疑いも持たれている。
実際に、崔順實の家宅捜索の当時、金庫はすでに空っぽだった。
続いては彼らをよ~く知るある人の証言。彼は今回の写真全てを提供してくれた。
“この兄弟はチャン・シホとはとても近い関係で、いとこ同士の中では一番フレンドリー。
お互い助け合ってますし。アニキの方が崔順實の帰国を助けたことも、
弟が幽霊会社作ったことも、こんな関係だったからです”以上で~す
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