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ワッタカッタ!さんのBLOG

水平視点の韓国ウォッチと大好きな旅行の記録 ときどきぼやきも・・・
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文明開化の遺産なのか?侵奪の歴史なのか?仁川旧日本人街歩きと大仏(テブル)ホテル、대불호텔


怒涛の韓国FAMツアーから一週間が経過しました。
仕事も忙しく、昨夜は飲みに出かけ、疲れも家事もたまっていますが、
怒涛のブログアップを続けます!

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またまた正子登場~。

ついつい「正子~」なんて気安く声をかけたくなる韓国のおばちゃん、
ガイドのユン・ジョンジャさんと一緒に、
仁川のチャイナタウンから、旧日本人街をブラブラ~と歩きました。

P1040434.jpg

清・日租界地境界階段から、仁川港を眺めます。そびえ立つ白い像は、
中国青島市から寄贈された孔子像。自由公園の西側にあるこの階段の下は、
右サイドが清、そして左サイドが日本の租界地でした。

ちなみに自由公園は、1888年造成された韓国で初めての西洋式公園。

P1040437.jpg

階段を降りて、直ぐ左手の通りに入って行きます。

ガイドのユン・ジョンジャさんのあとをついて、
旧日本人街、現在の仁川広域市の中区の区庁前の通りを歩きました。

P1040439.jpg

先に紹介した、仁川チャイナタウンの記事にも書きましたが、
仁川広域市中区は、近年、観光客誘致や地域商圏の活性化に力を注いでおり、
2005年、4億3千万ウォンの予算をかけて、日本人街の再生事業に取り組み、
報道にあった通り、ここには真新しい日本家屋風の建物が多く並んでいました。

私のノスタルジーを探して歩く~韓国仁川のチャイナタウン♪

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正面が中区の区庁になります。

Baidu IME_2014-3-1_18-40-18

アメリカ人宣教師サミュエル・モフェットが撮影した、開港後の仁川港一帯。
(새뮤얼 모펫、Samuel Austin Moffet、1864.1.25~1939.10.24)

当時の日本人街の様子が、しのばれます。
開港場は、私たちが歩いた中区一帯で、西欧文化始め、中国や日本文化の入口となった場所。
各国の領事館や銀行などが建ち並び、近代文化遺産が多く残る場所でもあります。

写真中央には、日本人によって韓国で最初に開業した西洋式ホテルも、確認出来ます。

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そして現在、朝鮮半島初の西洋式ホテル、大仏(テブル)ホテル跡は、
更地となっていました。先月の聯合ニュースによると、仁川広域市中区は
この跡地の活用法がまだ決まらず、歴史公園を造成するか、ホテルの建物を復元するかで
現在、検討中とのことです。

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写真左側に見える3階建ての建物が、大仏ホテル。
以下夫で旅友のオルネリョ!さん調べ。

大仏ホテルとは、1888年、日本人海運業者ホリ・リキタロウが
朝鮮半島初の西洋式ホテルを仁川で開業。またここは、
朝鮮半島初の、コーヒーの販売を行なったホテルとしても知られる。

畳部屋240、ベッド室11に、レストランまで備えた3階建ての西洋式建造物。

このホテルの部屋の価格は当時、上級2円50銭、中級2円、下級1円50銭。
旅館の上級部屋価格が、当時1円だったことと比べると高い料金だが、
人気があったホテルと記録されている。

逆上ること1983年仁川港開港当時、仁川では宿泊施設が不足しており、
仁川港へ入国した外国人がソウルへ向かうためには、
馬車・牛車で12時間ほどかけて移動せねばならず、仁川での宿泊は不可避だった。

そうしたニーズに応える形で誕生したのが大仏(テブル)ホテル。
もともと、大仏(テブル)ホテル開業の数年前から、
外国人相手に日本式木造家屋で旅館を経営していた日本人ホリ・リキタロウが、
商売が上向いたことに気をよくして、本格的なホテル事業に乗り出したのだった。

しかし1899年に、ソウル⇔仁川間の京仁線が開通するや、
ソウルまでの移動時間が1時間と短縮され、
仁川港に着いた外国人はその日の内にソウルへ行けるようになり、
仁川での宿泊ニーズがなくなってしまう。

そのため、大佛(テブル)ホテルは1907年に閉鎖。
中国華僑に売却され、しばらくの間は飲食店「중화루、中華樓」として経営されたが、
1978年に撤去され、現在は跡地として残されている。

2011年、韓国文化財庁はこの跡地を埋蔵文化財に指定し‘原形保存’することを決定。

そして現在、朝鮮半島初の西洋式ホテルで、大仏ホテル(テブル)跡は更地となり、
仁川広域市中区はこの跡地の活用法がまだ決まらず、
歴史公園を造成するか、ホテルの建物を復元するかで、現在、検討中とのこと。


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100年以上もの昔、この地、仁川港近くで、西洋式ホテルを建てコーヒーも提供した、
ホリ・リキタロウについても調べましたが、詳細は分かりませんでした。

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海運業で成功して、朝鮮半島初で、コーヒーの香りのするホテルオーナーにもなった、
ホリ・リキタロウについての話を、私はもっともっと知りたくなりました。

どんな日本人だったんだろう~。

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旧日本第一銀行。現在は、仁川開港博物館。
現存する近代文化遺産。韓国の資料には、侵奪のシンボルとして紹介されています。

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旧日本第十八銀行。現在は、仁川開港場近代建築展示場。

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旧日本第五十八銀行。ルネッサンス様式の建物で2階のバルコニーが独特。
当時、日本人商人に、土地、米穀を買い付ける資金を、貸付つけていた銀行です。

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ここを歩くと、日韓の近代史を間近で感じた気持ちになります。

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もう1人のガイドさん、イ・ミギョンさんが、足元の歩道を写真に収めます。

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私も、4億3千万ウォンの予算をかけた再生事業の一部を、写真に撮りました。

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15名の日本人ブロガーが歩いた道を、100年以上もの昔の日本人は、
何を思い何を追いかけて、ここ仁川の租界地、居留地を歩いたのでしょうか。

野望と夢が渦巻く港街。

内陸部から湾岸に物資を輸送するため、京仁線など鉄道の開設、湾岸整備など、
日本人が行った数々の事業。街が賑わい、水道、郵便、電話などのインフラが整備されます。

そして1957年マッカーサー元帥の仁川上陸作戦を経ての解放後、
米軍からの援助物資の輸送。敵産工場の稼働と職を求めて集まる労働者。

また仁川は中国山東省から近く、古くから往来があり、この地に移って来た中国人によって、
チャイナタウンが形成され、優れた農業技術も半島に伝わり、多様な農作物を栽培することに。

人が集まり物が集まる港街。異国文化と異邦人が行き交う、国際都市、仁川。
ほんの少しですが、開港から始まる仁川の歴史に触れた街歩きになりました。

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また正子に会いたい♡

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2014年2月仁川~ソウル~京畿道FAMツアーの旅の本編はここから始まります。
韓国旅行ご招待も3回目~ワタクシ暴言を吐かないか地雷を踏まないか
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