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ワッタカッタ!さんのBLOG

水平視点の韓国ウォッチと大好きな旅行の記録 ときどきぼやきも・・・
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韓国財閥系CJ会長サモニ~ムのインタビュー記事♪

TEXT BY オルラッタネリョッタ!



前回のCJネタで、
最近のCJは絶不調と書きましたが、
それは会長が昨年、脱税・横領・背任の容疑で起訴され、
裁判沙汰になってしまったことに始まり、
最高責任者を失ったグループ企業の経営状態にも
悪影響を及ぼしていることにあります。
そんな事態の最中の昨年8月、会長が拘置所から病院に移送され、
腎臓移植をしちゃったものだから、世間の避難を浴びることに・・・

そうした世の批判をかわす狙いがあるのか、
CJ会長の奥さんが、月刊女性誌「女性朝鮮10月号(2013年)」の
インタビューに初めて登場し、手術の真相と家族のことについて語ってます。


タイトル:
腎不全で闘病の夫に自分の腎臓を分け与えた金嬉在女史
CJグループ李在賢会長夫人キム・ヒジェ女史、
女性誌初のインタビュー


李在賢【イ・ジェヒョン】CJグループ会長が腎臓移植を無事に終えた。
偶然にも拘置所で収監中に病が進行したので、多少の疑念もあった手術だ。
今回の手術で腎臓を夫に寄贈した金嬉在【キム・ヒジェ】(54)女史と
書面でのインタビューを試みた。
なぜ今、手術するしかなかったのか、その理由も聞いてみた。

2013年8月28日午前、
拘置所に収監中だった李在賢CJ会長が手術台に上がった。
慢性腎不全の治療のため、腎臓移植を受けるためだ。
彼の手術は、二つの点で話題となった。
拘置所に収監される財閥オーナーお決まりの『仮病』では?という疑惑。
また、腎臓の寄贈者が当初予定された息子ではなく、妻に変更された点。
収監中にも関わらず、手術を受けねばならなかった理由は、
主治医であるソウル大病院ハ・ジョンウォン教授から十分な説明があった。

主治医によれば、李会長は30代から患う腎不全が悪化。
現在、腎臓の機能が、5%までに落ち込んだ状態だという。
今年始め、元々手術のスケジュールが組まれていたが、
検察の捜査によって、その時期を逃して、危機的状況にある。
大概、腎臓は血縁者から寄贈されるので、
李会長のケースでも、息子から移植を受ける計画だった。
実際には、腎臓は夫人の金嬉在女史から寄贈された。
国内生体腎臓移植手術の15%が配偶者から寄贈を受けるというが、
やはり普通は、血縁関係から移植を受けるので、
今回のケースは少し特殊と言ってもいい。
金女史は、「本人が基本的に健康体質で、移植可能と医師が判断したので、
今回の手術に踏切りました」と語る。


記者:
腎臓移植を無事に終えました。現在、お二人の健康状態が気になります。

女史:
5時間もの大手術でしたが、何とか無事に終えました。
主人の状態はとても悪かったのですが、
手術によく耐え、なんとか持ちこたえました。
現在、特に目立った兆候もなく、私も主人も快方に向かっています。

記者:
大手術なので、回復にも時間がかかりそうですが・・・

女史:
私、元々健康なので、2週間でほぼ回復しました。
ところが、主人は、手術は無事に終えたのですが、
回復する過程で、拒否反応が出たり、感染症にかかる可能性もあり、
主治医が注意観察している状態です。
血縁関係のない夫婦間での臓器移植のため、
拒否反応を示す可能性もあるので、安心できない状況なのです。

記者:
主治医から医学的に深刻な状況だと伺いましたが、
手術の際には、世間からかなりの批判を受けました。
イヤな気持ちになりませんでしたか?

女史:
主人の健康状態を正確に把握している人は、
会社の秘書チームにもいないほど、非公開にしています。
社内の職責に関係なく、
健康問題はあくまでも個人的な私生活の問題だと思います。
それだけにとどまらず、主人の健康問題が外部に知られた場合、
企業経営や株価等に悪影響を及ぼすこともあるという
主人の確たる意思も大きいです。
世間的に評判が良くないことは十分存じておりますが、
選択の余地がなかった状況だったことはわかっていただきたいです。
腎臓不全の場合、高血圧などにより、透析治療が不可能な状態なので、
唯一の方法が臓器移植でした。手術の日程を調整している時に、
偶然にも検察の捜査時期と重なり、誤解を生んだのだと思います。

記者:
夫のために腎臓の寄贈を決定。これは、簡単なことではありません。
妻としてどんな心情だったのか、気になるところです。

女史:
誰でもこんなことが身近に起これば、当然できることだと思います。
主人と子供はとっても大切な男手じゃないですか。
以前から主人の腎臓が悪くなっているのは知っていましたが、
移植という言葉を初めて聞いたのは昨年、8月でした。
誰もが自分に降りかからなければ、他人事じゃないですか。
始めは、「ああ、移植しないといけないんだ~」くらいの認識でした。
主治医の方にお会いして、説明を受けてみると、
4親等までの家族で寄贈者が現れなければ、
臓器移植管理センターに登録して、
待機期間は大体5年になることが分かりました。


記者:だから、すぐ手術に応じたんですね。

女史:
あの日、病院から家に帰って、じっくり考えてみました。
寄贈候補者は、私と息子と娘の3人。
それ以上の親族に広げたくなかったんですよ。
だから、家族会議をしました。
お父さんがこれこれこういう状況だと説明したら、
子供たちは間髪いれず、自分が寄贈すると言い出しました。
検査結果で一番適合する者が手術を受けることで話は決まりました。

記者:
始め、息子さんが寄贈すると伝えられていましたが・・・

女史:
後でわかったことですが、主治医の先生は、当初、息子を念頭に
置いていたようです。
若く体力的に見て、腎臓も私や娘より腎臓も大きく、
DNA的にも一致しているから。
医者の立場から、患者に誰の腎臓が合っているかが、
重要な基準なので当然のことです。
実際、検査結果も息子に軍配が上がりました。私は2番でしたが・・・
私たち家族は事前に打ち合わせた通り、検査結果に従うことで、
議論の余地はありませんでした。
私も当時、腎臓をもらう立場の人を考えて、
一番の選択をすればいいと考えるだけでした。
主治医は2013年前半に手術しないといけないとおっしゃり、
親しい人たちにもそのように伝えました。それが昨年の夏の頃でした。

記者:
手術の時期がどうしてずれ込んだのですか?

女史:
そうして、内輪では、息子が寄贈することなり、
今年4月までには手術を受けることになっていました。
主人の仕事が忙しく、手術への心的負担も大きく、
何より、息子への心配も重なり、手術をためらってしまったようなんです。

記者:
当初、会長の反対で寄贈の事実を隠そうとしたと聞きました。

女史:
今年の始めでした。息子が大学を卒業して、アメリカから帰国して、
ずっと、手術の事が頭から離れませんでした。
夫婦同士でも寄贈する事例があるとも聞きました。
それから、私がやればいいのでは?と思うようになりました。
そうしているうちに、
「ドラマのように、寄贈者が誰だかわからないように
手術する方法はないかしら」と一人で考えてみたり、
私がやったらやったで、
息子から「なんで母さんがしゃしゃり出るの?」と言われそうで。
そんな中、検察の捜査が始まってしまったのです。

記者:
家族の誰もが、気持ち的に負担が大きくなる状況だったのですね。

女史:
数ヶ月、極度のストレス状態だった主人の健康状態が、急に悪化しました。
遅くとも年末までには手術しなければならいとの病院の立場もあり、
腎臓の検査数値も極端に悪化する主人を見て、
これ以上は手術を伸ばしてはいけないと判断しました。
私の腎臓機能を確認するべく、CTで血管の検査を受け、
追加の手続きをした上で、主人に報告せねばならない状況になってから、
主人に「私の腎臓を寄贈する」と伝えました。 
主人にしたら、私でも息子でも負担感は同じだったと思います。

記者:
手術前、手術後、夫婦でどんな会話をしましたか?

女史:
手術後、主人は頻繁に「スマナイ」「ありがとう」を口にするので、
私は、その場の空気を変えようと、
「私の腎臓が別の体に移ることって、医学的にどうなっているのか不思議」とか、
「どんなメカニズムなの?」と言って話を逸らしたりしていました。

記者:
「重病発症→拘束執行停止」は、
財閥会長のお決まりコースという非難が多数あり、
今回も誤解の余地が十分でした。

女史:
誰よりもそばで主人を見てきました。
いくつかの疾病で、苦痛の中で生活してきて、
グループのトップなので、家族以外にどこが悪くて、
どれだけ悪いのかを言わないまま、日々を過ごしてきました。
主人の腎臓は、高血圧などの合併症で透析も不可能で、
移植手術だけが唯一の道でした。
与えられた期間内で回復できるように、
家族や医療関係者すべてが、最善を尽くしました。

記者:
CJグループの最大危機です。
会長が全社員やご家族に自筆の手紙を送りましたね。
グループトップとして、どんな心情で書いた手紙なのか、
今後、どのように克服していくか、お話ください。

女史:
主人は、誰よりもCJグループとその社員たちを心配しています。
その気持ちが伝わったのか、一連の危機的状況にも、
CJグループの社員は全幅の信頼をおいてくれ、
かえって、結束が強まりました。全社員がひとつになれば、
どんな困難も克服可能ではと思います。


김희재가족
※いずれも新婚時代のもの


記者:
李在賢【イ・ジェヒョン】会長と金嬉在【キム・ヒジェ】女史は大学時代に
合コンで知り合ったと聞きました。

女史:
1980年でしたから、もう30年以上前の話です。
私が大学2年、主人が落第して2回目の1年生を過ごした
クリスマスの頃でした。
ソウル芸術高校のクラスメートで今でも仲の良い友人がいるのですが、
私以外はみんな、旦那さんとは小学校の同級生なんです。
話は逸れましたが、その年の年末にその友人同士で集まったのですが、
主人は主人で別に友人を招待していて、
その友人の友人である私まで合流することになったんです。
巷のウワサでは、私が主人の正体を知らずに
付き合っていたことになっているようですが、そんなハズはありません。
財閥の後継者だと当然、知っていて付き合ってました。

記者:
最初の印象はどうでした?

女史:
印象は、オヤジ臭い人だな~と思いました。
当時若者の間では、ジーンズに野球帽がとても流行していましたが、
主人は、とても落ち着いて地味な服装だったんです。
その集まりは、その後、何回か続いたのですが、
二人だけで会ったのは大学4年の時でしたね。
あの時、私のことを特別に見てくれているなと感じはしましたが、
それ以上の関係には発展しませんでした。

記者:
それなら本格的な恋愛モードになったのはいつからですか?

女史:
そうこうしているうちに、お互い連絡も途絶え、83年でしたか?
私が大学を卒業して、デザイン会社に勤務しながら、留学の準備。
向こうは、シティーバンクの新入社員として働き始めた時、
連絡が来ました。
お互い、会うのが久しぶりで、とても楽しい時間を過ごしたのですが、
その時から、本格的に交際を始めて、
最初の1年間は毎日会っていました。

記者:
お二人がどんなデートをしていたのか気になります。

女史:
しばらくして、主人に「私、アメリカに留学する」と伝えたら、
「アメリカには行かないで」なんて言うんですよ。
それが、プロポーズだったのでしょ。
義母が「息子が付き合っているのはどんな娘?」と
いろんなところで聞いて回るから、
息子から「彼女のこと、あちこち聞いて回らないで、黙って結婚させてくれ」と
言われたと義母がおっしゃってました。

記者:
娘さんの結婚も恋愛結婚でしたね。

女史:
娘がコロンビア大学を卒業するとき、電話口で、
「気に入っている人を見つけた」ってはしゃぐんです。
私が「気に入っているなら、無条件、捕まえなさい」と言いました。
その後、二人が交際を始め、私が先にアメリカに行って、
その彼氏に初めて会ったんですけど、初めての感じがしなくて、
とても気楽にお話ができたんです。文句のつけ所が一つもないんです。
主人もアメリカ出張のついでに、食事を一緒にしたんですが、
その時に「合格だ」と言ってました。
娘夫婦は2008年8月に結婚しました。

記者:
奥様の夫婦観、結婚観が気になります。
まだ独身の息子の結婚についてどう思いますか?

女史:
私たち夫婦も、娘夫婦もそうであるように、
お互いよく調和して、安心できる人なら、それでいいです。

記者:
息子さんは現在、CJグループの企画室で勤務中ですよね。

女史:
企画室所属で実務教育を受け、現在、どの部署に配置するか検討中です。
最終的にはまだ決まっていませんが、
息子は今年、一般の新入社員と一緒に入社して、研修中です。
どのように社会生活を送るか、見守りたいと思います。

記者:
シティーバンク→第一製糖と実務経験をされた会長と同じ道を歩かれるのですか?

女史:
そうです。父親もシティーバンクを経て、
第一製糖の経理部へ平社員として入社し、
代理、課長などの職責をすべて経験しました。
とてもキツかったようですが、価値のある経験だったと主人も申しております。
だから、息子にも同じような経験をさせたいのだと思います。

記者:
日頃、お子さんに特別にしてあげた言葉ってありますか?

女史:
留学中だった子供2人が帰国するたびに、
私たち夫婦は常に家族全員で
恵まれない方々のために奉仕活動をしてまいりました。
あるときは、一人暮らしの老人や障害者施設を訪ね、
キムチ作りやお食事を振舞いました。
学業も重要なんですが、
いつでも恵まれない方のことも考えられる気持ちを持って、
育ってくれたらと考えていました。

記者:
話のついでに、お子さんの自慢話でもあればお願いします。

女史:
自分の口でいうのはなんですが、性格がいいんです、ウチの子供達。
二人共、私に怒鳴ったこともないですし、すねたりもしません。
娘は頑固な性格で、小さい頃は私が何回か、怒鳴りつけたことがある程度ですね。
学校にもきちんと通って、期待通り、勉強もよくできました。

記者:
財閥ごとの独特な教育法が話題になりますが、CJの教育法は何ですか?

女史:
我が家の教育法について、多くの方からご質問を受けるのですが、
四世代が一緒に暮らしながら、
子供たちを大切にする雰囲気作りには、気を使ってきました。
例えば、おじいちゃん・おばあちゃんの前でも、子供たちの質問には
無視しないで、キチンと答えてあげました。
そして、自分が特別な人間だという錯覚をさせないよう、
平凡に生きていけるような環境づくりにも最大限神経を使ってきました。

記者:
財閥家の奥様は、ドラマにはお決まりのキャラクターです。
主婦の読者にとっては、好奇心の対象だとも言えます。
テレビで描かれる人物って、現実とどれくらい近いのか気になります。

女史:
財閥家の嫁と言ったって、ある家庭の奥さんであり、妻であり、
子供たちの母である点で、他の方と異なる点はないと思います。
結婚後しばらく、獎忠洞【チャンチュンドン】の自宅で、
義祖母と義母のお世話をしながら、4世代が同居していました。
義父(イ・メンヒ)は海外にいらして、姑(ソン・ボンナム)が、
義祖父・義祖母(サムソン創業者夫妻)をお世話するのをお手伝いしながら、
辛いと思ったことより、見習うべき点がとても多かったように思います。
主人が出勤したり、家に帰ってくるたびに、
おじいちゃん・おばあちゃんにきちんとご挨拶をする姿を見ながら
子供たちが育ったので、彼らにもいい影響を与えたと思います。

記者:
4世代同居なら、嫁としてキツイ部分も多かったと想像できますが・・・

女史:
当時、毎日家族みんなで食事をするので、いつも神経を使いました。
そして、主人は普通の旦那と同じように毎日午前様でしたでしょ。
娘が小さい頃は父親と外食なんかしたこともなかったです。
息子が生まれてくらいでしたか、
ようやく家族同士の時間を過ごせるようになりました。
義母はおじいちゃん・おばあちゃんのお世話でとても苦労したようですが、
私にはそういう苦労はかけさせたくないという方です。
一言で言うと、私を実の娘と思ってくださる方なんです。
                                    (終わり)


Baidu IME_2014-10-23_21-52-53
※先月12日、裁判に向かうCJ会長 @ソウル高等法院

イ・メンヒの財産分割訴訟で
対立関係になってしまったサムソンとCJ。
先月の会長の裁判の際には、
イ・ゴニの妻ホン・ラヒが発起人になって、
「イ・ジェヒョンCJ会長は体調悪化のため、
実刑で刑務所に収監されたら死んでしまう」と
執行猶予を求める嘆願書を裁判所に提出したことが話題に。
嘆願書には、サムソン創業者の長女・次女・三女・五女も名前を連ね、
「サムソン本家とCJの和解に、一族の女性たちが立ち上がった」と
マスコミでは騒いでおりました。


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