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朝鮮戦争の激戦地~白馬高地~砲弾30万発で山の形が変わるのか!

2012年9月ソウル~鉄原~春川~束草~高城~DMZ非武装地帯を巡る旅 その11

2012年9月15日 土曜日


至れり尽せりあむちゃんツアーの、先ず一つ目に行きます。
ちなみに行程表も貼り付けて置きますね。

白馬高地⇒労働党舎⇒蓴潭溪谷・直湯の滝⇒昼食⇒承日橋



コースの内容は、あむちゃんに全てをお任せしていましたので、
どこを周るのか、どこに行くのか、私たちは全然分かっていませんでした。
気楽なツアーです。とてもツアーとは思えないフレンドリーさが魅力でした。

車中でも下車観光している間も昼食の時間も、何を話をしたかも覚えていません。
久しぶりの友人にあったような、たわいもない話ばかりしていたような・・・。

P1190784.jpg

車を駐車場に入れ、緩い坂道を上がって来ました~。

ここはどこだろう~?

その程度の私です。自分が来た場所の意味さえ知らず・・・。
鉄原の細かい下調べはしていません。急な思いつきで鉄原には来ました。

P1190785.jpg

白馬高地慰霊碑にお線香を上げました。韓国のお線香は長いですね。

ここは、戦闘で犠牲となった韓国軍兵士と、
中国共産軍兵士の御霊を、鎮魂する場所のようです。

P1190801.jpg

歩きながら、あむちゃんの案内を聞きます。

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1952年10月6日に始まった中共軍の大攻勢は10日間も続き、
10月15日までに、砲弾30万発が炸裂しました。


死闘と爆撃を続けた10日間で、なんと24回も!
白馬高地は北の領地になったり、南の領地になったりして、
このなんてことない山を韓国軍と中国共産軍とで奪い合い・・・
白馬高地は結果現在、韓国軍が勝ち取った韓国領になっています。

白馬高地の争奪戦は、
竹島問題(領土紛争)どころの騒ぎではなかったようです。

明日10月6日で、ちょうど60年ですね。
60年前、ここでは人同士が殺し合いをしていました。

韓国軍9師団と、中国共産軍38軍の主力部隊が、
熾烈な血戦と進退を繰り返し
韓国軍の3,146人、中国共産軍の14,389人が犧牲となったと、
韓国側の記録にはあります。

私は軍事にはまったく疎いので、砲弾30万発がどんだけの数かは、
まったく想像がつきません。しかし砲弾を受けた山は元の姿を無くし、
白馬が横たわっているように見えたことから、
朝鮮戦争中、最も熾烈だったこの戦地の山を、
白馬高地と呼んでいるそうです。そんな話を知ると・・・

「山の形が変わった~!それほど大変な戦争だったんですね~!」

そんな血で塗られた激戦地の山を、これから見に行きます!

P1190809.jpg

林を抜けると展望台になっていました。そして見えました。

韓国には長く、10年以上通っていますが、
自分の目で初めてDMZを見ました。
白馬高地はDMZのエリア内に位置しますので、ここから望みます。

P1190811.jpg

山の上には、韓国軍の軍事施設も見えました。

P1190813.jpg

肝心の白馬高地の写真は、上手く撮れませんでした。
カメラの限界?いや私のスキル不足ですね。

激戦地、白馬高地がどんな様子かは、是非ご自分の目で確認してください。

P1190815.jpg

朝鮮戦争当時、この現場を歩いた、
韓国軍6師団7連隊の捜索中隊員だった、ムン・ヨンジュンさんと、
同じく12師団51連隊の捜索中隊員だったパク・ジョンチョルさんの、
インタビューがあります。

「高地占領を目前に戦友と指を奪われたあの日…」

興味がある方は読んでみてください。
戦争はいつの時代でも、どこの国同士でも悲惨です。

私は平和が好きです。
子供達には争いのない世界を残してあげたいです。

P1190803.jpg

駐車場から緩い坂を上って展望台まで歩いて行きますが、
坂の途中には、小さなメモリアル・ギャラリーがありました。

P1190789.jpg

夫は韓国語は理解できますが、私にはまったく理解不能???

P1190794.jpg

こちらの写真の方が、この激戦の英雄らしい~将校です。

追記:オルラッタネリョッタ!さんが調べてくれました~。

キム・ジョンオ(김종오:金鍾五) 1921年~1966年 

日本の中央大学在学中の1944年に学徒兵として日本軍に入隊。
少尉として任官されたが、日本の降伏により韓国に戻った。
帰国後、左翼勢力が結成した「学兵同盟」に対抗して作られた「学兵団」へ
入り活動していたが、軍事英語学校に入学し、
1946年1月に陸軍少尉として任官。

1952年、休戦のための会談が行われる中、
軍事境界線を確定するために南北が揉めに揉めていた時、
最前線の第9師団長として任命され、中国共産党軍と白馬高地を巡って
10日間で24回にわたる取った取られたを繰り返した戦闘を指揮したのが
金鍾五氏だった。この戦闘の果て、中国共産党軍を完敗させることができ、
休戦協定でも、政治的に大きな影響を及ぼすことになった。
(穀倉地帯である鉄原を南の領土とすることに成功した。)


Baidu IME_2012-10-6_20-6-17

彼も、パク・チョンヒ大統領と同じく、日本留学組でした。
この白馬高地の戦いは、休戦のラインを優位に決める、
朝鮮戦争の終盤の重要な戦いだったんですね。

キム・ジョンオの功績により、韓国では米の人気ブランド、
「オデサル」が、韓国側で、今現在も美味しくいただけています。
「オデサル」米については、またの機会に・・・。


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おまけ

駐車場の脇には、お土産物を売っているお店がありました。

P1190829.jpg

普通の観光地と変わりませんね。

P1190823.jpg

しんみりと見学したあとですが、
俄然、こういった店は気になり目が輝きます。
俗な人間ですみません。

P1190825.jpg

鉄原の特産物があれこれ売っていましたが、
私がお土産に選んだのは、蕎麦と葛の乾麺です。
美味しいかな~。料理をした時には、またご紹介しますね~。

お店の人はどこにいるのかな???
キョロキョロしていると・・・

P1190827.jpg

店にいた兵隊さんが精算してくれました。

「えっあんた~店番だったのね!」

私は、てっきり買物をしているお客さんだとばかり・・・ああ勘違い。
突然の強盗が店にやってきても、なんだか安心な土産物屋でした。
武器を持った店員なんて、私は初めてのこと。

兵隊さんのアルバイトですか?
それとも軍資金稼ぎでしょうか~?

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Comment

すごいところまでいかれたのですね!
この件についての韓国の高校教科書では
「しかし、統一を祈願する国民の熱望とはうらはらに国連軍と協賛軍の間で休戦が成立してしまった(1953年)。」とありました。(言葉の用い方についてはおいといて)韓国側としてはもっと戦いたかったようです・・・。
2012.10.06Sat 07:47 ≫ 編集
Re: seoulmiki さんへ
seoulmikiさん おはようございます。
そうですか・・・頭に血が上りやすい国民性ですが、
戦争は人殺しです。冷静になって欲しいです。

そうだ!今度良かったら、タンチョウ鶴を一緒に見に行きませんか?
鉄原に^^
2012.10.06Sat 09:36 ≫ 編集
NoTitle
北朝鮮軍とともに韓国を侵略した中共軍兵士を慰霊しているのですか。首都ソウルを灰にして数多の韓国人を殺したのですがね。日本に対する態度とはエライ違いです。ダブルスタンダードそのものです。
2012.10.06Sat 18:07 ≫ 編集
Re: 福島区の一区民 さんへ
福島区の一区民 さん コメントありがとうございます。
私は、沖縄の摩文仁の丘に行ったことがあります。
本当に気持ちが、暗く重くなる場所です。
人が人を殺し合う戦争について、本気で向き合う場所です。

そこの石碑には、戦没者は軍人、民間人を問わず、
外国人も含めて記されています。
賛否両論あるかと思いますが、戦争は政治家が始めますが、
戦地で人殺しをするのは、罪なき民間人も多いと思います。
私は戦争で命を落とした兵士の弔いは、
国籍の分け隔てがなくてもいいかな~と思っています。

日本に対して韓国がどう思っているかは別として・・・。
つまらない人類愛と言われても仕方がありませんが・・・。
2012.10.06Sat 19:19 ≫ 編集

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