TEXT BY オルラッタネリョッタ!日曜日午後2時、NAVERの検索語1位が、
唐突にキム・ジャオク【김자옥、金慈玉、1951年10月11日生】となっていたので、
何気なくクリックしてみたら、まったく予期せぬ訃報記事。
思わず体がのけぞってしまいました。
2008年に初期の大腸がんで入院&手術、2012年にリンパ腺と肺にガンの転移を発見、
芸能活動を続けながら、順調に抗がん剤治療を行っていたとのことですが、
先週の金曜日に突然体調を崩し、緊急入院。
そのまま16日の日曜日午前7時40分、帰らぬ人となりました。
享年63歳という若さっス。

僕的な故人に対するイメージは、
年齢をいくら重ねても少女チックな部分を残す女性、
日本で言ったら、八千草薫的な女優さんという印象でした。
スポーツソウルさん所蔵の彼女20代のグラビア写真を並べると、
当時の彼女を知らなくても、十分に彼女の可愛らしさが伝わってきます。





培花【ペファ】女子中学校1年生の時から5年間、テレビドラマの子役を務めた後、
1969年、MBC公募タレント2期に合格。
半年間の演技教育を受けるも、
父親で詩人の故キム・サンファ【김상화、金相華】の猛反対で、
MBCを強引に辞めさせられ、漢陽【ハニャン】大學の演劇科に入学します。

※以前バラエティーで紹介された父親。女好きで家族を泣かすような父親だったらしい。
(ソウル大作曲科中退→釜山で音楽教師→詩人→映画会社役員)
その後、学業に専念するも業界関係者からスカウトされて
1973年KBSドラマ「銀河の季節【은하의 계절】」に出演し、再びテレビの世界へ。
(結局大学は2年で中退することに)
その時の女子高生役で10代の視聴者から爆発的な支持を受けました。


ニュース原稿的には、70年代以降、キム・ジャオクは、
キム・ヨンエ、
ハン・ヘスクと並んで
連ドラ界の「涙の女王、눈물의 여왕」として悲劇のヒロインを数多く演じることに。

※1977年KBSドラマ「幸福の門」でカン・ブジャ【姜富子、강부자】と共演。

※1982年KBSドラマ「妻、아내」 ではハン・ジニ【한진희、韓振熙】と共演。

※1985年KBSドラマ「銀色のせせらぎ、은빛 여울」では、パク・クニョン【박근형、朴根瀅】と。



※人気のバロメーター、週刊誌の表紙にも多数登場
プライベートでは1980年、当時の人気歌手と結婚。一時芸能界を引退します。

※電撃結婚宣言。ひと月前から同居中。(京郷【キョンヒャン】新聞1980.04.21)
でも、3年後の1983年には、性格の不一致で離婚。
その翌年、フォーク歌手出身で事業家の
オ・スングン氏【오승근、呉承根, 1951年12月20日生】と
バツイチ同士で再婚し、芸能活動を再開させます。


2008年、大腸がんの手術を同じ日に受けたキム・ジャオク夫妻。
(一緒に健康診断を受けて、一緒に大腸がんが発見された)
術後夫婦で仲良く回復したタイミングで、
月刊女性誌「レディー京郷」からインタビューを受けた
旦那さんの記事を読んで見ましたが、
彼女の明るさからは想像できない程、
キム・ジャオクという女優、なかなかな波乱万丈人生だったみたいです。
80年代の2度の結婚を経ても、女優業は順調でしたが、
90年代に入って、仕事に行き詰まりを感じ始めたキム・ジャオク。
仲の良かった一番上の実姉がうつ病で自殺したことも影響し、
本人も深刻なうつ病にかかってしまったそうです。
そんな時、夫婦共通の友人である
大物演歌歌手テ・ジナ【태진아、太珍兒】のプロデュースで
1996年に歌手デビュー。この時彼女、45歳。

※お姫様病(공주병)にかかった女性をコミカルに歌った「姫は寂しい、공주는 외로워」。
中年女優がお姫様ルックのまま舞台で歌った事が大ヒット(60万枚)の要因とのこと。
「涙の女王」から「永遠のお姫様」へと見事なイメチェンを果たして、
人生開き直った彼女でしたが、
翌年の1997年、IMF外貨危機の煽りをマトモに喰らい
旦那の会社(旅行業)が、70億ウォン規模の不渡りで倒産。
そんなどん底状態でも、旦那によれば、
妻であるキム・ジャオクは明るく励まし続けてくれたようで、
彼女の「あなた、昔歌手していたんだから、また始めてみれば?」との一言で、
またまた友人のテ・ジナに助けてもらって旦那は17年ぶりにカムバック。
2001年「一緒にいる時、良くしてあげて、있을 때 잘해」が大ヒット。
この時、倒産で抱えた借金もかなり返せたそうです。
女性誌のインタビュー内容は以上です。

一度は地獄を味わった夫婦ですが、
4年前に旦那の連れ子の長女オ・ジヨンさんを嫁にやり、
旦那との間にできた実の子供で、長男のオ・ヨンファン君の結婚を来年3月に控え、
人生まだまだこれからという、
そんな中で飛び出した突然の訃報だったようで、
旦那さんを始め、子供たち、
そして、SBSでアナウンサーやってる実弟のキム・テウク氏など、
残された家族たちの悲しみの深さは計り知れません。
![IMG_2160[1]](https://blog-imgs-58-origin.fc2.com/k/a/g/kagami0927/20141117152249b66.png)
※日曜の深夜、弟さん担当のFM番組「気分のいい夜」を聞いてみました。
生放送ではなく収録ものだったので、ご本人のコメントはありませんでしたが、
追悼のメッセージは番組HPに数多く寄せられていました。
僕的にはキム・ジャオクといえば、
ドラマ「屋根部屋のネコ」でのチョン・ダビンの母親役も印象的でしたけど、
2005年MBCドラマ「私の名前はキム・サムスン、내 이름은 김삼순」での
キム・ソナの母親役が絶品でした。
故人の絶妙なコメディー演技が忘れられません。

「ウチの娘を馬鹿にして!」とレストランに乗り込んで、
ヒョンビンに殴りかかるも、背が低すぎて空振りしたり、
ついには支配人役のヨ・ウンゲから水をぶっかけられるシーンがヨカッタ。
※ワッタカッタ!さんは8分45秒からのカラオケシーンを故人の名場面に挙げています。

※このドラマにヒョンビンの母親役で出演したナ・ムニ【나문희、羅文熙】が弔問に訪れていました。
70&80年代の正統派ヒロインとしての女優全盛期→
96年、満身創痍の歌手転向→
2000年代からは主にコメディー系アジュンマ演技で活躍
このように韓国芸能界で息の長い活動を続けたキム・ジャオクさんの突然の死。
(サムソン会長イ・ゴニ死去時の予定稿は各マスコミ、準備してあると思いますが、
彼女の訃報は誰にとっても晴天の霹靂)
トレードマークである彼女の笑顔をいつまでも忘れることはないでしょう。
※弔問客動画は
コチラ!※埋葬地は
盆唐【プンダン】メモリアルパーク(분당 메모리얼파크、別名:南ソウル公園墓地)交通:地下鉄盆唐【プンダン】線、 野塔【ヤタプ】駅3or4番出口からバスかタクシー利用
-50番バスで11番目の停留場で降りる(25分)、タクシーなら15分、距離は3.6km-
所在地:
경기도(京畿道) 성남시 분당구(城南市 盆唐區) 야탑동(野塔洞)6番地※夫婦での貴重な共演作としては、
2003年映画「同い年の家庭教師、동갑내기 과외하기」で
キム・ハヌルの両親役を好演していました。

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Comment
꽃보다 누나を見たとき、癌を患い闘病していた時期もあると話していましたが、とてもお元気そうだったから(体調の良くないときは、寝ている時もありましたが)昨日の訃報にはビックリし、とても悲しいです。こちらで記事にされないかなと昨日何度かお邪魔しましたが、今日このような形で記事にしていただきありがとうございます。波乱万丈な人生だったにも関わらず、そんなことを微塵も感じさせない優雅な女優さんでした。
私は「私の名前はキムサムスン」と「ハイキック」を見てジャオクさんを知るようになりました。
ハイキックでのジャオクさんは本当に可愛らしいおばさまを演じられていて、たくさん笑わせていただきました。
おっとりした上品な雰囲気のジャオクさんにはまだまだ色々な作品で出会いたかった!
残念ですね~
ご冥福をお祈りします。
いつもながら詳しい情報ありがとうございます
私もショックでした、ご家族での写真 明るく笑ってこれから人生を楽しむ時に、本当に残念でした
クムスンでの演技 韓国のお姑さんは ここまではっきりお嫁さんに言うのか 多少大袈裟でも驚いた記憶があります 綺麗でちょっぴりお色気もあり、それでいて着ているブラウスがいつも乙女チックで可愛らしく、魅力的な女優さんでしたね
これからもっともっと ご活躍できたのに ご冥福を祈ります
弔問に訪れた、ナ・ムニさん 今 王家の家族たち 観ています
韓ドラデビューの遅い私が初めて見たのが「私の名前はキム・サムスン」、繰り返し何度も見ましたっけ。主にヒョンビンですが(^^ゞ
今「オジャッキョの兄弟」を見ていて、改めて素敵な女優さんと認識したところでしたので、本当に寂しい気持ちになりました。
もっともっとおばあちゃんになってのお姿も拝見したかったです。
僕自身にとっても大好きな女優さんでしたので、
気が重くなってしまって、ブログ化するのに、少し時間がかかりました。
それほどでもないと、とっとと書けちゃうのですけど・・・
꽃보다 누나が今年の1月までのOAでしたっけ。
病気が完治したことが前提でご本人がお話していたので、
芸能マスコミ側にとっても突然の訃報となっていたようです。
おはようございます。
クムスンは当時隣人の赤坂ホステス軍団が熱心に見てましたので、
ちょこちょこ横で眺めてましたよ。
王家のナ・ムニは「ヒョ ヒョ ヒョ ヒョ ヒョ~」と奇声を発する役どころでしたね。
ナ・ムニはデビュー時、MBCラジオで声優してましたし、
キム・ジャオクもデビュー初期に、ラジオドラマで一時声優をしていたらしいので、
2人はもしかして若い頃、声優仲間という共通項があったかもしれません。
サムスンはきっちりまた見直したくなりました。
キム・ジャオクの後に高倉健。
名優が亡くなったということで、僕的には同列です。
オジャッキョはチェックしていないので、
彼女のパートを中心に流しながらでも見てみたいと思います。
アジュンマ&ハルモニ女優で以前、集中的にブログをUPした時に気づきましたが、
皆さんそれぞれ、俳優さんそれぞれに対する思いがそれぞれあるな~と。
最近では、舞台でも演じていらっしゃってたようで、1度拝見してみたかったです。
でも、映画やドラマ作品は残ってるので、故人出演作をゆっくり見返していきたいと思います。
コメント、ありがとうございました。
やっぱりサムスンのママがよかった~カラオケのシーンもよかった。
いつも、髪の毛を編んできちんと結い上げ、ロングスカートのイメージが忘れられません。
お久しぶりです。
うまいお店も永遠ではないですけど、
いい俳優も永遠ではないことを痛感中です。
鑑賞できるときに、できるだけ鑑賞したいと思いましたです。
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