TEXT BY オルラッタネリョッタ!韓国芸能界!大仰天!!ヨン様は知っていた?イ・ジアとソテジの関係?!22日未明にイ・ジアとソテジの第一報を興奮気味にお伝えしましたが、
ちょっと冷静になってみると気分が変わりました。
韓国のオンラインニュースのトーンは
イ・ジア=悪女、ソテジ=擁護のムードが大勢です。

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小学校卒業写真まで公開されたイ・ジア。叩かれまくりです。
こうなると、ひねくれものの僕は、思いっきりイ・ジアを
守ってあげたくなっちゃいます。ある種の変人です。
小学生の頃から、周りの男子から嫌われてる女の子を好きになる
傾向がありました。親から受け継がれた反体制の姿勢。
プロ野球の場合、好きなチームはなくても、アンチ巨人。
それはさておき、前回の記事の部分でこんなのがありました。
ソテジとイ・ジアは…
93年、アメリカ・ロスの公演で知り合ってから恋愛に発展。
97年、アメリカで二人だけの結婚式を挙げたが、
06年、性格の不一致で、離婚申請をしていたとのこと。
よく考えたら、93年はイ・ジアは15歳。
97年は19歳、06年は28歳ということです。
ソテジのそれぞれの年齢を考えれば
21歳のトップスターがファンの15歳の少女と知り合い、
ソテジ25歳のときに、19歳のイ・ジアと結婚。
アメリカ・ロスでの、彼らの生活をよく知る在米韓国人の証言を
某オンラインニュースが取材していました。それによると、
93年のロスの公演で偶然2人は会うことになったのだが、
夢中になっていたのはソテジのほうで、韓国に帰ってからは
彼女に手紙と電話の攻勢がものすごく、96年の突然の芸能界引退後
2人はロスで生活し、彼女の高校卒業後に程なく結婚したそう。

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デビュー当時のソテジ。性欲が有り余ってそうな時期ですね。
ならば再び、言い換えて見ると…
93年に、21歳のトップスターが、アメリカで少し生活の苦しかった
アメリカ在住の15歳韓国人女子中学生を見初め、
米韓をまたぐストーカーまがいの行為で自分の女にして、
援助交際の果てに96年に、自分のバンドまで解散し、
芸能界を引退までして、彼女の住むアメリカに渡りました。
そして、彼女の学費・生活費を面倒を見つつ、同棲生活を経て、
彼女の高校卒業と同時に97年、ソテジ25歳の時に、
19歳のイ・ジアと結婚はしてみたものの、
2000年、韓国で芸能活動へ復帰して、イ・ジアと遠距離生活をしてみたら、
もうあの女は飽きたなと見切って、2006年に、ソテジが一方的に
イ・ジア28歳の時に、離婚申請を裁判所に提起した。
こんな推察もできなくもないですよね。
そう考えて見たら、ソテジ=ただのロリコン変態、イ・ジア=悲劇のヒロイン
こんな図式になりませんかね。
この2人の話題はコレでおしまい。疲れました。
追記
2008年の韓国映画「좋은 놈, 나쁜 놈, 이상한 놈 いい奴、悪い奴、異常な奴」の
パロディーポスターが出回っています。

パロディー版では
チョン・ウソン=騙された奴、ソテジ=悪い奴
という図式で描かれています。
コレ見て思ったのは、チョン・ウソンが少しかわいそうかなと思う反面、
男と女のことで誰がいい!悪い!というのはないような気もします。
僕は本記で2000年にソテジが韓国でのカムバックによる
遠距離生活で、ソテジがイジアを見切ったと記しましたが、
遠距離生活で自分を見つめ直したイ・ジアが
このままソテジに依存して生活するのをよしとせず、
独立心が芽生えたのではないかとも思えてきました。
そして、自分の足で歩き出して、女優業という仕事にたどり着き、
そのとたん、ソテジに対して物足りなさすら感じるようになり、
見切ったのはソテジではなく、むしろイ・ジアとも推測できます。
こんなことで、動揺するようではチョン・ウソンも男が廃りますね。
イ・ジアも時が来れば、彼に正直に話すつもりだったかもしれないですし…
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おまけ
ソテジって誰?という方のために
1992年4月11日に「ソテジとアイドル」として
初めてテレビ出演したMBCの生放送番組の映像を見つけました。
新人の歌手を評価する企画コーナーで
彼らがデビュー曲「난 알아요 ナン アラヨ」を初披露するのですが、
4人のじいさん、ばあさんの批評はほとんどが酷評で
ソテジの顔がところどころ引きつってます。
5分2秒の1人目の評論家(作曲家)
리듬은 좋은 반면에 멜로디는 좀 덜 신경을 쓴 것 같다.
リズムはいい反面、メロディーは少し気を使わなかったようですね。
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ラップの曲によいメロディーを求めるあたりが旧体制派の発言ですね。
5分22秒のソテジの顔が引きつってますね。
5分32秒のおばさん評論家(作詞家)
새로운 형식에 노랫말도 새로웠으면 좋았을 것 같다.
新しいスタイルの歌なら歌詞も新しければよかったのに…
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このおば様には、若者の抱える悩み・苦悩はただの
愚痴にしか聞こえなかったみたいですね。
この映像を見ただけで、当時の雰囲気が透けて見えます。
こんな酷評でも、このテレビ出演直後、
瞬く間に若者の熱狂的支持を得て、
トップスターに登りつめました。
民主化を1987年に達成したにもかかわらず、
相変わらず、世の中は閉塞感に包まれ
10代の青年が生きにくい状況が続き、
若者の間で評論家=旧体制をぶっ壊せ的な雰囲気が
醸成された時期だったのではないでしょうか、1992年の韓国は。
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