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ワッタカッタ!さんのBLOG

水平視点の韓国ウォッチと大好きな旅行の記録 ときどきぼやきも・・・
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私の祖先の仇~秀吉が夢見た朝鮮半島~芸妓は仇を討ったのか!?

2011年8月~慶尚南道5泊6日の旅 8月23日火曜日 その17


韓国の晋州城址を観光します。観光というには、はばかられます。
石は投げられませんが、気が重くなる場所です。

ここ晋州の城は、紀元前1世紀の三国時代までさかのぼります。
城内で、軍民合わせて6万人が玉粋したと伝わる、
1592年の文禄の役(韓国では壬申倭乱)で、日本でも韓国でも
よく知られる歴史的な古戦場跡地です。



佐賀県の鎮西町の名護屋城址に立って、秀吉は正気だったのか?と
海の向こうの朝鮮半島を思い浮かべ、私は考えたことがあります。

このブログでは、日韓の歴史的なことを語るのは、やめます。
しかし晋州を訪れるにあたって、少しだけ私の事情を説明すると…。

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↑朝鮮半島の三大楼閣に数えられる「矗石楼」現在は1960年に復元されたもの 。

父の生まれた家は、佐賀県の志気(シゲ)にあります。
昔この辺りの家では、自宅に産婆さんを呼んで赤ん坊を産むのが当たり前。
父も自宅で、たしか12人(だったかな?)きょうだいの末っ子として、
生まれたそうです。(今の私は、こちらの親戚とは疎遠です)

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↑ここから南江の畔へ出ます。

九州人でも志気(シゲ)を訪れたことがある人は、少ないと思います。
父の幼い記憶では、暗闇の山あいの暮らしは、ランプの灯りで夜を過ごし、
水車がガタンゴトンと音を立てて回る、藁葺の屋根の家が多かったらしい。
父は物心がつく前に、育ての親へ養子に出されたので、この村に親、兄弟、
親戚がいることは、大人になるまで知りませんでした。

P1130134.jpg
↑案内は韓国語のみ。豊臣軍には韓国語が出来る通訳がいたのかしらね?

ただ節目節目に、養母が実母に父の顔を見せるため、村に連れて行くので
とんでもない田舎だと、子供の頃から感じていたそうです。
私が子供の頃、村の共同浴場に連れて行かれたことがあります。
そこは混浴で、近所のおじさんも娘も一緒に、入浴していました。
小学生の私は尻込みをして、入れませんでした。今でも忘れられない記憶です。

P1130136.jpg
↑「義岩」は、豊臣軍が「矗石楼」で祝宴の最中、芸妓さんが豊臣の武将を
 色気と話芸?でまんまと岩場に誘い出して、
 武将を抱えて(抱きついたのかな?)身投げした悲話が残る場所。
 亭主は熱心に韓国語の案内を読んでいますが…。


家系図をたどると、父の生まれた家は、波多三河守の家臣の末裔に当たると、
私は子供の頃から繰り返し繰り返し、言い聞かされてきました。
上松浦党の盟主、波多三河守の居城「岸岳城」があったのが
ここ志気(シゲ)村から遠くない場所。

豊臣秀吉の、一方的な言いがかりによって
改易(藩の取り潰し)され、不本意な最期を遂げた波多三河守。

波多家の遺臣たちは、自刃するもの、あるいは野に下り
帰農するものが多く、父から聞いた話では、山深い志気村にも
多数の遺臣たちが逃げて来て、やがて畑を耕し
田んぼを作ったのではないか?という言い伝えを話していました。

「岸岳城盛衰記」「名護屋城の謎」「松浦党戦旗」などの書物を、
いつかゆっくりと読んでみたいと思っています。

村に伝わる「岸岳末孫の祟り」の話は、もう何回、子供の頃から聞いたか分かりません。
「きしたけ ばっそんの たたり」については、話が長くなるので、またいつか。

私が横溝正史の小説が好きなのは、そんな事かもしれません。

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↑韓国語が理解出来る亭主の表情は、一段と暗くなりましたね。

私の祖先は、豊臣秀吉によって、滅ぼされたのか?

秀吉によって滅ぼされた家は、日本全国にあると思いますが、
ちっぽけな家に生まれた父も、そして私も、秀吉は仇になります。

P1130144.jpg
↑この先が、国立晋州博物館。文禄の役(壬申倭乱)にまつわる
 歴史的な資料の展示があります。正直に言って気が重くなる博物館です。


仇の秀吉は、文禄の役では20万以上の兵を、慶長の役では14万人の兵を、
九州の名護屋から朝鮮半島へと、出兵させたのです。
その節は本当に、朝鮮半島の皆様には、ご迷惑をおかけしました。

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↑修学旅行と思われる、韓国の高校生の集団が見学していました。
 彼らは、どんな印象を持つのか…。とにかく気が重くなりました。


韓国の晋州には、壬辰・丁酉倭乱の傷跡の話が多く残る町です。
晋州を訪ねた日本人には、朝鮮半島侵略をもくろんだ秀吉の、出兵基地だった、
名護屋城跡、陣跡と名護屋城博物館にも、是非足を運んで欲しいと思います。

P1130146.jpg
↑蛇口を回すと水が出ました。公園に似合わないな~なんてフト思ったり。

晋州の南江の流れを見ていると、なぜか九州の名護屋城跡で、
秀吉の途方も無い野望に驚いた気持ちが、フラッシュバックしてしまいました。

つづく

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Comment

名護屋城址
こんにちは

 ちょうど昨年の今頃、佐世保でのセミナーのついでに行ってきました。

「城址」ではありますが、その規模は相当なもの。また、周囲数キロ半径内に布陣した各大名の陣地を考えると日本最大級の軍勢が終結したのでしょう。

 高台の旧天主閣あとからは複雑に入り組んだ湾の多い海が見えました。日本を統一して、すべてが自分の思い通りになると考えてしまった老人の気まぐれで、多大な迷惑をかけてしまったこと、すべての日本人が知っていないければならないことと考えています。
2011.10.01Sat 10:46 ≫ 編集
Re: おとうさんへ
おとうさんへ
そうですか~あの名護屋にも行かれたのですね。
ナゴヤと言えば、名古屋ですが、名護屋もスゴイです。
名護屋に、全国から集まった諸大名の名前を見ると、
NHK大河ドラマの常連の名前がずらりと並びます。
当時、戦の前という状況の中、武将たちの相当気持ちも高揚して、
大変な賑わいだっただろうな~と、
泰平の世の名護屋の地で、想像してしまいますね。

佐世保から唐津は、なかなか観るもの、食べるもの、
いろいろあって、良い所です^^
2011.10.03Mon 09:07 ≫ 編集
ですね
 鹿児島宮崎の方には済まないのですが、私も九州は
北部に美味しい物があると感じています。初めて佐世保
へ行った時、あの韓国でもよくある手間の結晶、天然産
の小指の先ほどの牡蠣があって大喜びしました。

 自分の所に昔書いたのですが、長崎県北部、佐賀県
北部の地名のなかで集落名に「面」てつくのがあるのを
ご存知すか? 秀吉の戦争で陶工を初めとする技術者
をたくさん捕虜としてさらってきた場所。もしかして「面」
もその名残なのかな?と想像を膨らませています。

 医療観光はなかなかがんばっているようで、仁川空港
には案内のデスクもあったはずです。ソウルでは延世大、
あと、テグの慶北大が特に力を入れているという話です。
まぁ、目は中国のお金持ちに向いているのではないかと
思いますが。
2011.10.03Mon 12:20 ≫ 編集
Re: おとうさんへ
おとうさんへ
そうですね、紙袋は中国語と日本語になっていました。
中国人の友人の弟のお嫁さんは、日本で出産しました。
日本の病院は、親切でクリーンで素晴らしい~と絶賛!
友人の弟は、日本で1ヶ月部屋を借りて付き添いでした。
日本で出産すると子供のビザが将来都合が良いとか言っていましたね。

陶工が幽閉された大川内山にも、1度行ったことがあります。
「面」は気づきませんでした。今度から注意してみます。
九州の北部には、秀吉にまつわる話がいっぱいです。
そして有田焼に乗せていただくお料理は
美味しい~のも確かです^^
2011.10.04Tue 17:58 ≫ 編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011.10.24Mon 20:22 ≫ 編集
Re: コメントありがとうございます。
いつもありがとうございます。
波戸岬のサザエのつぼ焼き売店は、今いくらでしょうか~。
呼子のイカは刺身が有名ですが、私はゲソの天ぷらが好きです。
虹ノ松原の唐津バーガーも美味しい~ですね。
あのあたり、美味しい~ものが多すぎます^^
いつか晋州でも、美味しい~地元の料理を食べてくださいね。
2011.10.26Wed 07:11 ≫ 編集
大変興味深い記事だと思いながら、読ませていただきました。
私の先祖は、秀吉の侵略(で合っていますでしょうか?)で朝鮮半島から連れて来られたそうです。

しかしそれが無ければ今の私も存在していなかったでしょうから、
日々幸せに生きる努力をしている立場からすると、
秀吉の行動にも、たとえどんな酷い性格や気性の人だったとしても、
どこか、その存在にありがたみさえ感じてしまいそうにもなります。

合理的に考え過ぎかも知れませんね(^。^:)

まあ実は私も、ただの悪どいお猿似の人ぐらいにしか思ってないのですが、
私も彼の人生を生きたとしたら似たようなことをしたのかも知れないとも思いますから。

それにしても、韓国にこんな所があるとは露知らずでした。
ぜひ一度訪れてみたいと思います。

ありがとうございました。
2011.11.19Sat 07:02 ≫ 編集
Re:
コメントありがとうございます。
九州には朝鮮半島から秀吉によって連れて来られた
陶工が拓いた窯元があります。
唐津から有田方面への窯元巡りは楽しいですが、
過去には、そんな歴史がありますね~。

東京育ちの亭主と、唐津、有田周辺を訪ねた時、
秀吉にまつわる言い伝えが多くて、
彼は、いちいち驚いていました。

唐津の水野旅館で食事をしましたが、
そこで「とんさんなます(殿様刺身」という料理を食べました。
とんさん(殿様)とは、太閤秀吉のことです。
彼が名護屋出陣のおり立ち寄ったところに、唐津の地元の漁師が、
刺身を、えなが(ひしゃく)に盛って差し出しました。
これが粋な計らいだ!なんて感激したらしく、
このあたりの漁業権を許されたという話があります。
唐津の美味しい~刺身を、風光明媚な景色と共にいただきました。

九州の旅と合わせて、韓国晋州を訪ねると、
あれこれ複雑な心境になりますね…。
機会があれば、私も秀吉の足跡を追ってみたいと思っています^^
2011.11.20Sun 07:15 ≫ 編集
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2015.07.25Sat 20:46 ≫ 編集

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