ワッタカッタ!さんのBLOG

水平視点の韓国ウォッチと大好きな旅行の記録 ときどきぼやきも・・・
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昨日韓国のFMで流れてた曲♪ 韓国ガールズグループの元祖? 에코(Eco)~‘행복한 나를(へんぼかんなるる[幸せな私を])’~

TEXT BY オルラッタネリョッタ!







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에코(Eco) ‘행복한 나를(へんぼかんなるる[幸せな私を])’
2集アルバム「Voice Of Eco」収録曲 1997.07
作詞:유유진(俞有鎮[ユ・ユジン])、作曲・編曲:박근태(朴根泰[パク・クンテ])

https://www.youtube.com/watch?v=7Xld72O7uSw

MBC「人気歌謡ベスト50」のライブ映像(Not口パクBut生声)




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黒人系R&B女性トリオ。
1994年結成、1996年デビュー、
韓国金融危機以前&Solidと同時期に活動した
韓国女性アイドルグループの元祖って言っちゃっていいかもです。
あのボビー・ブラウンの事務所で編曲の仕事してた
アメリカ系韓国人サム・リーが、
6ヶ月のオーディションを経て、選び抜いた女性ボーカルってことで、
かなり力入れて、売り込んでいた模様。
「リップシンクよ!サヨウナラ」というお題目で
大学路を中心に活動していたらしい。
2000年過ぎて、メンバーが結婚して抜けたりして、
自然消滅しちゃったようですが、
今回の曲は多くの歌い手がリメークしてますし、
2013年tvNドラマ「応答せよ1994(第12話)」でも挿入歌として登場&
김예림(金藝琳[キム・イェーリム])が、
OST PART5としてこの曲をリメイクしてます。
因みにグループ名ECOの意味は'Erotic Cool Orgasm'とのことでビックリ仰天。



https://www.youtube.com/watch?v=n4pZwGjfnU4

ラジオ番組でEXID허솔지(許ソルジ)が上手く歌ってます



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さっき韓国のFMで流れてた曲♪ 車太鉉[チャ・テヒョン]の‘I Love You’(2001年)

TEXT BY オルラッタネリョッタ!





この時期に聞くと特にいいですね。



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차태현(車太鉉[チャ・テヒョン]) ‘아이 러브 유(I Love You)’
発売日:2001.02.12



確かにかつて大昔、映画「猟奇的な彼女」で、役者としての車太鉉にハマりました、僕。
だけど、歌を歌うことまでは彼に要求しませんでした。
親父さんがテレビ局の音効さん、母ちゃんが声優さん。
2世タレントなんだけど、中途半端感ありありの庶民派芸能人ってのが良かったのかな~




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※2000年、映画「猟奇的彼女」公開前


2017年の今、この映像を見るとよくわかる。
歌は口パクだし、踊りが特に上手いってわけじゃないし、
ファンの熱が凄すぎて、本人の実力が追いついていないって感じ。
本当にこの顔でよく韓国で大ヒットしました。奇跡、奇跡。
この時のファンに今聞いてみたい。「あの時あなたは正気でしたか?」と・・・
でも、この曲自体は、秋という季節に聞く分にはいいですね!



https://www.youtube.com/watch?v=XVqzHQRthfE

上の番組と同じOA時の映像。ただし画質はHD。
試験的に撮影したものみたいで、その証拠にカメラは2カメ。
なので、ほとんど切り替えがなく、グダグダな映像だけど、
画質はアホみたいにGOOD.
この映像をYouTubeにUPできるって、業界の人かもね・・・
それにしても、同じ曲で何ヶ月も活動する時代だったので、
毎回趣向を変えた演出は大変だっただろう~な~



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僕の大好きな韓ドラOST♪빛과 소금(ピックァソグム[light and salt])の‘샴푸의 요정(シャンプーの妖精)’

TEXT BY オルラッタネリョッタ!




「ジャズ フュージョン」チックな曲調。当時としては画期的だったと推察。
韓国のFM系でよくかかる曲なので、昔から知ってる大好きな曲でした。



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빛과 소금(ピックァソグム[light and salt])
~샴푸의 요정(しゃむぷーえよじょん[シャンプーの妖精])~
1集アルバム「빛과 소금」収録曲、作詞・作曲:장기호(チャン・ギホ)、発売:1990.11.
※このアルバム、 「韓国大衆音楽100大名盤」に選定


男3人のバンド、その名も「光と塩」って一体なんじゃとは思いましたが、
よくよく考えれば、杉並・高円寺に光塩女子学院って、
キリスト教系女子校があることからも想像できるように
「塩と光」の話は聖書の一節に登場。
なので、メンバーはバリバリのクリスチャンということに・・・
と調べてみたら大正解でした!
因みに、メンバーは元々は、海軍の軍楽隊で知り合った仲ということです。
上の写真センターで、今回の曲を作ったチャン・ギホ氏。
バークリー音大出て、現在は大学の先生になっており、
たまに「覆面歌王」みたいな番組に出演しているみたい。


今回の曲、普通の日本人的には、
2013年tvN金土ドラマ「応答せよ1994」5話の挿入曲として
使用されたことで知った方が大多数なのでは?
でもこの曲、そもそもが1988年OAの単発ドラマ用に作られた曲なんです。
当時人気の詩人が発表した詩集の一篇をモチーフにMBCがドラマを制作、
その際、主題歌として作られたのが今回の曲ってことになります。




※MBCの日曜朝の番組の動画。昔の名作ドラマを駆け足で紹介する僕の好きな番組

MBCベストセラー劇場(226話)
「샴푸의 요정(シャンプーの妖精)」
放送日:1988年10月9日
演出:황인뢰(黃仁雷[ファン・イルレ])
脚本:주찬옥(朱贊鈺[チュ・チャノク])
出演:채시라(蔡時那[チェ・シラ])、홍학표(洪鶴標[ホン・ハクピョ]、윤철형(尹喆衡[ユン・チョリョン])、
윤석화 (尹石花[ユン・ソックァ])、이효정(李曉庭[イ・ヒョジョン])他


蔡時那[チェ・シラ]がシャンプーの人気広告モデル役。
で、彼女に憧れすぎちゃって、その広告を製作する代理店に
入社する冴えない男(洪鶴標[ホン・ハクピョ]扮)。
彼の恋心が果たして彼女に通じるのか?という当時としては
ちょっと洒落たラブストーリーになってます。

(「オトコは顔じゃない」今の韓国では想像できない価値観がドラマでは表現されてます)



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ドラマの見どころは、故최진실(崔眞實[チェ・ジンシル])、김희애(金喜愛[キム・ヒエ])と並んで
90年代を代表するトップ女優だった채시라蔡時那[チェ・シラ]をじっくり見られる点。
※上の写真は彼女のデビューのきっかけとなったハイティーン雑誌「女學生1984年4月号」表紙用写真



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※写真左は実の弟の이기영(李基永[イ・ギヨン])


あとは劇中、蔡時那[チェ・シラ]のストーカー役で出演する李曉庭[イ・ヒョジョン]の若い頃を見られる点。
※上の動画21分~から登場



やっぱし、ダイジェストじゃなくて、このドラマ、フルで見たくなりますね、トホホ・・・



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僕の大好きな韓ドラOST♪ 2007年MBCドラマ「ケセラセラ」~월광(月狂[ウォルグァン])~

TEXT BY オルラッタネリョッタ!







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W&Whale(더블유앤웨일) ‘월광(月狂[ウォルグァン])’

https://www.youtube.com/watch?v=OfemMmkzA_8

EBS「スペース共感」での演奏



イントロがカッコイイ。
今回の曲がイントロクイズで登場したら、誰よりも先に正解できる自信アリ(笑)



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※2012年、Whale嬢が契約満了でチームを抜けてからすっかり姿が見えなくなり残念・・・


僕、実はドラマの方は一切見たことなし。
このOST曲はバンドWの客員ボーカル웨일(Whale)嬢を通じて2010年頃、知りました。

https://www.youtube.com/watch?v=pJ0C3_hLgS0

僕が웨일(Whale)嬢を知るきっかけとなった2008年「SKブロードバンド」CM。
CMソングがきっかけで世間で有名になった彼女とバンド。
韓国では超レアケースだったと思う。


https://www.youtube.com/watch?v=jjH7eyynfBU

そのCMソングの元歌MV




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(上から)
문정혁(文晸赫[ムン・ジョンヒョク])、윤지혜 (尹智慧[ユン・ジヘ])
이규한(李奎翰[イ・ギュハン])、정유미(鄭裕美[チョン・ユミ])
あと、ソテジの若いワイフも出演


当時無名の鄭裕美[チョン・ユミ]が主演だったのにも関わらず、
「私の名前はキム・サムスン」の演出家が担当ということもあり、
一部マニア層や業界人からの支持が強かったとのことなので、
老後にでもこのドラマ、ゆっくりと鑑賞したいですね。



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DEUX元メンバー故・金成宰[キム・ソンジェ]の書いたエッセイ♪ ~外国で育った僕~

TEXT BY オルラッタネリョッタ!





正確な事はわかりませんが、金成宰がDEUX活動中に書いたエッセイみたいです。
興味深いので、訳して見ました。




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※左が故김성재(金成宰[キム・ソンジェ])、右が이현도(李賢道[イ・ヒョンド])



賢道[ヒョンド]が「音作り担当」とすれば、
僕はDEUXでは「視覚」担当と言える。
ダンスから衣装、メイクなどをトータルで担当。
DEUXの音楽は観賞用というよりは、目で見て楽しむ音楽なので、
目に見える部分の比重が大きい。
DEUXだけの個性を浮き上がらせ、成功を収めたデビュー、
その後の持続的人気の要因が、
独特なファッションとルックスだったことは事実だ。
<나를 돌아봐(なるるとらば)>でデビューした当時、
僕らはチェック模様の服を着てたけど、
江南エリアのアパレルショップには、
僕らの着てた服を買い求める新世代の若者たちが押し寄せ、
売上げが80%近くUPしたなんて話も聞こえてきたりもした。
僕が常に視覚として狙うノウハウはとにかく
「型破り」な事を念頭に置くことだけ。
例えば、緑と赤は一緒に使うと合わないとされているが、
うまく使えば、ダサくならず、むしろ新鮮さが増す。
僕らが再び皆さんの前に登場する機会があれば、
衝撃的な姿をお見せするから、期待していてね。
そろそろ、色合いに合わせてダンスをうまく踊っちゃう僕、金成宰[キム・ソンジェ]。
今日までどんな感じで過ごしてきたのか、過去を振り返ってみます。


生まれは1972年4月18日、生まれ故郷は釜山は西区の富民洞だ。
父は高麗大の法科を卒業後、貿易関係の事業をしているキム・スフン(51)、
母は梨花女子大教育学科を出て、日本語教師をしているユク・ヨンエ(49)だ。
二人は今も同じ仕事をしている。
僕が生まれた2年後、弟のソンウクが生まれ、
現在、明智大の建築科に在学中だ。
つまり僕は二人兄弟の長男だっていうこと・・・
母は僕を身ごもっているとき、龍が如意珠を口にくわえて
空を飛ぶ胎夢を見たらしいが、如意珠の中には僕がいたとのこと。
僕自身が如意珠だったのかは不明だが、日本語教師の資格以外に、生花、器械体操、
ピアノ教師の資格まで、取っていない資格はないんじゃないかってくらい、
うちの母は資格を取ることが趣味ってくらい、母自身が龍?なのは確かだ。
僕が歌手としての素質を見せ始めたのは、5歳くらいのときだったみたい。
ぼんやりとした記憶はあるし、母も折々、話をしてくれるのだけど、
音楽が流れれば、無条件、僕はリズムを刻んでいたらしい。
当時、ギター片手に舞台を賑わせてた売れっ子のフォーク歌手が当時いたんだけど、
어니언즈(オニオンズ)の「편지(手紙)」が流れれば、狂ったみたいに歌っていた。
母は、「この子は大きくなったら一体何になる気で、こんなに歌う?」と
とても心配していたらしい。


僕が今、人気デュオDEUXのメンバーとして頑張っていることって、
もしかしたら、父の血を受け継いでいるのかも知れない。
わざわざ隠すつもりはなかったらしいが、母の言葉によれば、
父の歌の実力は半端なくて、本物の歌手もビビるレベルだったらしい。
母も最初はわからなかったらしいのだが、
偶然ある集まりで父の歌を聞いて、ビックリ仰天、
その場にいた人たちも、驚いて、口をポカンとしていたらしい。


DEUXのビジュアルを担当しているとさっき言及したけど、
この感性って、僕が子供時代、外国をあちこち回って、あれこれ見たりして、
その時に感じたものが多かったからだと思う。
ちょうど、歌って踊って、遊び盛り絶頂の時だった。
当時、韓国重工業(※国策会社、2000年代に斗山が買収)に勤務していた父は、
英国支社への転勤を命じられ、家族全員がイギリスのロンドンへ行くハメに。
およそ1年、僕ら家族は英国で生活し、また韓国への帰国命令で韓国に戻ることに・・・
その時、会社に休暇申請して、家族みんなで、ヨーロッパ、香港、日本を旅行して回った。

いつも霧がかかって陰鬱な雰囲気な英国ロンドンのストリートから
絵画的な自由なムードを感じ取ったり、騒々しい香港、
こじんまりとしてキュートな日本の町並みが、
僕の敏感な感受性を次々と刺激する。


韓国の生活も小学校3年までの短い間に、大道初等學校→大峙初等學校→彦北初等學校
(すべて江南区所在)と3つの学校を転々と移った僕は、
父への日本支社異動の辞令が決まったおかげで、
再び海外、それも日本に移り住まねばならなくなった。


小6から高1までの6年間、僕は日本で生活した。
この期間は僕の一生において、いつまでもありありと記憶に残る時間であった。
日本で過ごした時間はそれこそ《キムの戦争》といっても過言ではなかった。
韓国人だからって、僕を軽く見たり、からかう日本の同級生たちと喧嘩して、
とっちめてやった。


日本に行くと両親から初めて聞いたとき、僕は本当にイヤだった。
一日や二日の旅行ならいいんだけど、そこで長期間に渡って
生活しなきゃいけないなんて、本当にイヤだった。
せっかく仲良くなった友達や先生と別れなきゃいけないことに
我慢ならなかったし、
未知の世界に対する怖さの感情も確かにあった。
幼少時代、隣家に住んでた日本人の子供に「バカ、バカ」ってからかってた僕も、
今度は自分が日本で逆の目に遭うんじゃないかとも思っていた。


そんな心配も結局現実となってしまった。
日本に行ってすぐ、両親は在日同胞の子女だけが通う
東京韓国人学校の存在を調べるも、
その学校、定員がとても少なくて、空きもなかったので、
空きが出しだい連絡してくれることに・・・
なので、まず最初の学校には日本人が通う現地校、
渋谷区立上原小学校という学校に入学することになった。


初の登校日から日本人の同級生達の眼差しがとても冷たかった。
無表情にしれっとした感じでみんなの顔色を探っていたら、
ついに一人の同級生が因縁をつけてきた。“朝鮮人(조센징)”


一旦は無視して我慢した。しかし、そのからかいも一人、二人と増え始め、
クラスのみんなが“朝鮮人(조센징)”とネチネチ言ってきた。
子供たちを一人一人見てみると、一番図体が立派で、
番長に見える子を密かに呼び出した。
校庭に引っ張り出して、容赦なく殴りつけ、
クラスのみんなは窓から顔を突き出し、その様子を見つめていた。


この日を境に僕を“朝鮮人(조센징)”と表立って呼ぶ同級生はいなくなった。
でも終わらなかった。“キムの戦争”はこれからも続いた。
ここで一つ、話の理解の為に言いたいことは、
日本人は僕ら韓国人より、食生活改善を早く成し遂げ体格も大きく、
あらゆる面で進んでいると思ってたけど、僕の経験したことからは、
それほどでもなかったという事実。
大部分の生徒は僕より小柄で、力も弱く、
何よりも彼らの精神力はまったく僕とは比較にならない程に軟弱だった。
「強者に弱く、弱者に強く」とでもいいましょうか?
僕が強いと知ってからの日本人同級生の態度は初めとは、
がらっと変わってしまった。


同じ学校に通う2歳下の弟、成郁[ソンウク]も僕と似たようなケースだった。
性格が大人しい弟は日本の子供たちが“朝鮮人(조센징)”とからかうのは
我慢に我慢を重ねるも、ある日、顔に排泄物を突き出されたときは
流石に我慢できず、一発で張り倒したらしい。


僕ら兄弟は日本の学校に通っておよそ3ヶ月で名前が全校に知られ、
人気者になった。みんなは僕らを“キム兄弟”と呼んだ。
僕らを厄介者扱いする同級生をきれいに撃退しちゃったり、
校内で開かれる体育行事ではいつも、かけっこ、高飛び、幅跳びなど
すべての競技で、僕らが優勝をかっさらった。
勉強の方は流石に国語(日本語)はダメだったけど、
それ以外、特に算数の成績は日本人とは競争相手にならないほど良かった。


この時、僕の人気を集めた一つの要素は美術だった。
小学校6年の頃が思い出される。
美術の先生が「未来に住んでみたい家を粘土で作ってみなさい」と言った。
他の生徒たちは大体似たようなものを作っていたが、
僕は家の中の家具、階段にいたるまで精密に作り出した。
先生は僕の作品を教壇に飾ってくれ、
教室のみんなは感嘆したように拍手をしてくれた。


ぎこちなかった日本語が韓国語みたいに慣れてきて、
いつの間にか日本の生活も少しずつ面白くなってきた。
もちろんその中にはダメダメな日本人の同級生を
叩きのめすことも含まれている。


上原小時代、日本人生徒の間では僕は“キム”で通じた。
卒業後、僕は東京の韓国人学校に入学する予定だったが、
この時もまたまた、定員がいっぱいで空きがなかった。
欠員が出たら連絡してくれるということで、実際に入学したところは、
世田谷区瀬田にあるSt Marry's International Schoolという外国人学校だった。
この学校はミッションスクールとして世界中で運営されたところだけど、
規則が半端なく厳しく、アメリカの伝説的な野球選手ベーブ・ルースも
この学校の系列校の出身だったことは有名らしい。


小学校時代には日本の子供たちをとっちめつつ成長したダメな性格の僕は、
中学校に進学し、より一層パワーを増したかもしれない。
今考えれば、なぜあんなに日本の子供たちへ残忍に振舞ったのか?後悔もしている。
あの時、ああだったのは、あるときはこっそりと,あるときは表立って、
“朝鮮人”といじられたことで、僕の中の悪が芽生えてしまったのかもしれない。


多国籍な学校だったSt Marry'sには親しくしていたトルコ人の同級生がいたんだけど、
手の施しようのないほど内気でシャイで損なキャラクターの代表格。
バトライという名前の彼はある日、僕から2万円を借りていったんだけど、
3ヶ月経っても返す様子は全くなし。
バトライは僕を見るたびに、そっといなくなるので、たまりかねて、
彼の家に押しかけて、母親に「あなたの息子に貸したお金を返せ!」と
大声で怒鳴りつけてやった。


家の様子を見れば、2万円程度が返せない感じでは全くなく、
その母親は「お金はない」と涙まで流した。
僕はバットを持って2万円分、家を叩き壊してやった。
家から出ると、バトライが恐れおののいた顔で窓からのぞき見ていたのが見えた。
後日、バトライはめっちゃくちゃに僕から殴られたことは言うまでもない。


以下省略



김성재 에세이(1)

김성재 에세이(2)

김성재 에세이(3)

韓国語でエッセイ読みたい方は・・・




日本での子供時代のエピソードを読んだ後に、
彼の遺作を聞いてみるのもまた御一興・・・







金成宰‘말하자면(まるはじゃみょん[あえて言えば])’
作詞・作曲・編曲=李賢道[イ・ヒョンド]

말하자면 너를 사랑하고 있다는 말이야
あえて言っちゃえば、お前を愛してるっ事

하지만 나는 말할수 없단 얘기야
だけど僕はその事を言葉にできないってハナシ

하루가 또 지나도 난 항상 제자리에
一日一日が過ぎても僕はいつも自分の元の場所へ

너의 뒤에선 항상 너를 쳐다봐
後ろからいつもお前を見つめてた

너의 앞에선 항상 땅을 쳐다봐
前からではいつも地面ばかりを眺めてた

넌 알지 못했니
お前はわからなかったの?

어색하게 애써 외면을 했던 걸
気まずい感じでお前を避けてきた事

우연히 스쳐 지날때마다
偶然すれ違うたび

서로 반갑게 지나쳐 갈때마다
お互い嬉しそうにすれ違うたび

넌 알지 못햇니
お前はわからなかったの?

너무나도 자주였던걸 말이야
いくらなんでも偶然が多すぎたって事

그모든 순간들은 결코
あの全ての瞬間は決して

우연들이 아니였어
偶然なんかじゃなかったの

사랑의 크기만큼이나 두려워하는 나의
僕の愛が大きすぎて、少し怖さを覚えた僕の

바보같은 모습..
バカみたいな姿・・・


以下省略




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